昨年応募した各フォトコンテストは結果、箸にも棒にも掛かりませんでしたw。気合入れて撮った力作に限って世間に公表しても全然ウケないんですよね~^^;。
仏教では瞑想という心を落ち着ける技術があります。何かと脳みそが散らかりがちな現代人には、頭の中をリセットして心を整える為に取り組む人も増えているようです。
散歩がてら街の中でラフに撮り歩くスナップ写真は自分にとって精神統一に近い活動です。スナップ写真って結構歴史長いんですよね。最期の征夷大将軍徳川慶喜も、明治維新以降晩年カメラを愛していたようですが、かなり沢山撮っていたようで、その中にはスナップ写真と言えるものがいくつも残されていました。ただ、当時の写真雑誌に作品を投稿してもあまりウケなかったようです^^;。てか、そんな時代にすでに写真雑誌があった事も驚きましたが。
目次
- ◆肩の力を抜いて、あんまりセオリーとか考えずに撮る写真
- 『あっ』と思ったら取り敢えず撮る感じ
- ◆『あ…なんとなく良いな…』と感じる風景や瞬間とは何か
- 懐かしさを感じる時
- ◆【誰か】の影響も多分に受けて感性は完成していく
- 誰かの影響を受けていると感じる作品
- ある武術化の話
- ◆スナップの本当の魅力は『時を止められる』事
- 一枚の写真で三秒前と三秒後を感じる
- ◆伝わるよりも感じる写真を撮ってみたい
◆肩の力を抜いて、あんまりセオリーとか考えずに撮る写真
何事にも言える事なのですが、【良い結果を出そう!】と力が入ると、結果的には力んだ割に大した結果にならない事って往々にしてあると思うんです。勿論、『良い写真を撮ろう!』と思う事は大事なのですが。
普段写真を撮っているとどうしても良い写真にしようと肩に力が入りがちなんですよね~^^;。そんな時に限って枚数撮っても打率が低い感じがしますw
そんな時はコンデジ片手にブラブラ撮り歩くのが、色んな面でリセットになります。
●『あっ』と思ったら取り敢えず撮る感じ
なんせブラブラ歩いているだけなので適当にあちらこちらを眺めたりするのですが、そんな時でも『あっ』て一瞬目が止まる瞬間ってあると思います。
それって自分が持っている感性のアンテナが何らかの電波をキャッチした瞬間だと思います。良い写真を撮ろうと肩肘張ると理屈にばかり捉われて、そういう素直な感受性が潰れてしまいがちです。
ホントはそういう部分が一番撮り手の個性が発揮されて、実はそんな時が一番【良い写真が撮れる瞬間】だったりします。勿論良い悪いの感覚は人によって随分違ってきますが、少なくとも自分の感性は自分しか持っていません。
感性のアンテナがピンと来る何かを受信し、写真でその瞬間を切り取って見える化する事で自分自身の感性を発信する事ができます。スナップ写真って、そんな感じだと思うんです。
セオリーに拘るのは時に深刻な時間の無駄を生む事があって、まごまごしている内に最高の瞬間は過ぎ去ってしまうものです。
昔と違っていくら撮ってもお金は掛からない良い時代ですから、気持ちの向くままに取り散らかしてみましょう^^。
◆『あ…なんとなく良いな…』と感じる風景や瞬間とは何か
ここでは自分の個人的な感覚の話でいきますが、特に街の中を散策していると時々出くわす何となく良いなと感じる風景とかってあると思うのですが、なぜそう感じるのでしょうか。
思うにそれは【懐かしさ】がその感性の土台になっていると感じるのです。特に小学生くらいに見た風景や瞬間とか光の差し方が、後の人生に強く影響していると思います。
●懐かしさを感じる時
自分が小学生の頃は、狭い路地が入り組むような港町に暮らしていました。軽自動車でも狭いなと感じるような道ばかりで、時々こんな風に狭い路地に入るとどこか懐かしさを感じるのです。
商店が立ち並ぶ一角の風景。新しめな外壁に感じますが、建物はかなり古いようです。ある程度メンテナンスしたのでしょうが、ずっと昔に流行ってたハイカラなデザインはそのままです。
自分が子供頃は妙にこんな西洋風な感じの建物や店内装のお店が多かったと記憶しています。今でも滅多に入らないファミレスの店内は大げさに洋風な雰囲気に圧倒されたものです。
子供の頃の記憶
酒屋の裏ってどこもこんな感じですよね。でも今は街の酒屋さんそのものを見る事が珍しくなりました。
子供の頃は親が飲み終わった酒瓶を近所の酒屋さんに戻しに行くと、一本5円とか貰えたのです。今も貰えたりするのかな?。
店の脇の狭いスペースにうず高く積み重ねられたビールケース。スーパーやコンビニには無い、これもまた懐かしい風景の一つです。
自分が住んでいた家はもう少し違う感じでしたが、子供の頃よく遊んだ友達の家がこんな感じの場所にありました。板張りの外壁、スガラス(と言っていた)の玄関の引き戸、なぜか窓に当てられているプラタン(プラスチックのトタン)。大抵は個人経営のお料理屋さんが隣とかにある。
小さい頃は新潟県の北方の集落の祖母の家に居たのですが、その家は同じような板張りでいかにも田舎の家って感じでしたので、その時の記憶もこの風景の懐かしさに影響していると感じます。
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自分で何かを創作する人なら誰でも【憧れの作者】がいると思います。自分も尊敬している写真家先生がいまして、過去に撮った写真を振り返るとやっぱり大なり小なり影響を受けているな~wって感じるものは多々あります。
●誰かの影響を受けていると感じる作品
あまり細かい事は考えずにラフに撮ったスナップ写真ですが、後で振り返ると『どこかで見たような気がする』ものがチラホラ…。
でもそれって必ずしも特定の誰かとは限らないんですよね。どこの誰の感性とリンクしたのかは分かりませんが、知る事の無い誰かの面影を感じながら…。
無機質な室外機が積み重なる足元に、割れた小瓶がとても哀愁漂う一枚。改めて見てみるとどこかで見た事があるような気がする一枚でした。
それは決してマネをしたワケではないのですが、完全にオリジナルと自信を持って言えるかといえばそうでもない一枚です。
店先の植物とひっそりとしたタヌキの置物が、建物が密集してあまり日が射さない路地裏で良い雰囲気を醸し出していた一枚。
これもどこかでみた一枚のように感じます。先程の懐かしさみたいなものとは別の感覚で、昔のぼんやりした記憶だと思うんです。それが作品としての写真だったのか、はたまた店のチラシか何かだったのか…今となっては知りようがありませんが。
この感じはある廃墟写真集の影響を多分に受けています。それはもうガッツリ受けていますw。一時期かなりハマりこんでいた事がありまして、『さすがにこれは世に出せんなぁ…w』みたいな作品もストックしています。いつか発表できる日が来たらいいな。。。
スナップ写真の教則本とかにはこんな構図のものが作例として結構上がっていると思います。
『我ながら良い一枚が撮れたゾ!』と思ったのですが、ある意味お手本に沿って撮れたからこそ良い一枚になったと感じたのかも知れません。
SNSではこんな感じの写真が沢山ありますね。世界には景色がリフレクションする映えスポットが沢山あります。
この一枚に関してはもう撮る時点でSNSを意識したようなものでした。パッと見てサクッと撮った一枚ですが、そうやって簡単にまとまるという事は、それだけ沢山見てきたし沢山の人が見せてきた構図なんだと思います。
センスが良い人はきっと、もっと息を飲むような一枚に仕上げる事でしょう。
●ある武術化の話
ある東洋武術を日本に持ち帰った事でその界隈ではとても有名な先生がおられるのですが、その先生がお弟子さんに武術を教えるにあたって、
『私という外郭があって、その中にしっかり自分が出来上がるとお前の武術は完成する。私が教えた事だけを必死に鍛錬しても極める事はできないのだ。教わった事を基礎にして必ずその中に自分を置け』
と、話していました。その先生のお師匠様も同じ事を先生にお教えなさったそうで、やはり憧れの人や参考にする先生の存在は大事なのだと感じました。
◆スナップの本当の魅力は『時を止められる』事
時の流れは、いつの間にか滑らかに過ぎ去っていくものです。
写真を撮れば撮った瞬間の時が止まりますが、スナップ写真の本当の魅力は【その一枚の直前と直後を感じる】一枚が撮れた時が一番発揮されると感じるのです。
どんな写真でもそういう部分はあるのですが、ことラフに撮ったスナップ写真に関しては、撮影された瞬間の直前と直後を生々しく感じられるような一枚がとても魅力的です。
風景写真でも前後の季節感で変わっていくその風景を感じますが、スナップではもっと短い瞬間的な時間の流れを感じたらそれはもう【勝ちスナップ】と言っても良いのではと思います。
●一枚の写真で三秒前と三秒後を感じる
iPhoneのカメラでライブフォトという機能がありますが、感覚的にはそれに似たものです。機能的には決定的瞬間を逃さない為のものなのですが、動きの伝わる一枚を撮る練習としては目で見えるので良い機能です。
梅の木に提げられた短冊がひたすらに風に揺れる風景をあえてブラさずに撮りましたが、躍動感をちゃんと残す事ができた一枚です。
梅が咲く頃の風はまだ寒さが残って、この一枚を眺めているとその時の冷たい風がほほを叩く感覚が蘇るようです。
ガード下の歩道トンネル。ちょっと珍しい形をしていて、車道が覗けるようになっています。
通る車は一瞬しか見れないのですが、トンネルなので車が来るロードノイズが少し前から聞こえてきます。その音に合わせてシャッターを押します。
新潟市には風鈴で有名な神社があります。夏の風鈴祭りでは圧巻の風景が境内に拡がります。
この時期はまだ物静かな方ですが、手水舎には沢山の風鈴が提がっていて風が吹くたびになんとも雅な音色を奏でていました。
ちょうど風が止まった瞬間の一枚ですが、よく見ると背景の方の風鈴の短冊はまだ風に揺れています。この直後また賑やかな音を奏でていました。
◆伝わるよりも感じる写真を撮ってみたい
写真は伝わる事も大事ですが、見る人の想像力を掻き立てるような、良い意味で分かりにくいものでも良いと思うのです。
広告写真などでは伝わらないと当然困る事になりますが、例えばSNSで個人的に発信するような作品では感性を共有するような一枚だって面白いと自分は思いますよ。むしろそういうのって伝わる写真より難しいかもしれません。
『あっ』っと思う瞬間に出会う、見つける為には何より自分自身の心が軽くなければ、たとえ目の前に訪れたとしても気付く事ができないでしょう。
写真だって立派な創作活動です。創造するための想像力は、何より心の軽さが大事になると自分は思います。
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