近年、世界各地で深刻な問題となっている海洋ゴミ。その大半を占めているのが『プラスチック』だ。海洋プラスチックの話で言うプラスチックとは、石油を原料としている合成樹脂の事で、ビニールやナイロンも一括りで言われる事が多い。
そもそもプラスチックとは、熱や圧力を加えて自在に形を作れる高分子化学物質の事と聞いている。専門的な事は分からないが、人類にとってとてつもなく画期的な発明である事は確かだ。
今やプラスチックの無い暮らしなどあり得ない。自分が使っているカメラも勿論、このブログを作成しているPCもその筐体を構成している素材の大半がプラスチックだ。
そんな人類最高の発明の一つであるプラスチックが今、将来の地球上の生命はおろか、これを生み出した人類そのものの生命さえも脅かしていると言うではないか。
環境破壊は全人類の連帯責任、一個人が出来る事など微々たるものだが、今一度現実の光景と向き合って改めて考えてみたい。
◆日本海の夕日の景勝地、笹川流れ
新潟県村上市の北部に位置する『笹川流れ』。伸びやかに続く地磯と南国のように透き通った海、点在する集落が昔ながらの漁村の風景を思わせる。夏には海水浴客で大賑わいを見せるこの海もまた、無数の海洋ゴミの漂着地点だった。
3月8日、岩ケ崎から笹川流れ方面を望む。人によってはこんな風景はどこか、懐かしさで溢れるものではないだろうか。
この海岸線を通る道は、『日本海パークライン』こと国道345号線だ。中学生の時に自転車で行ってから、単車で走り抜け、車でドライブに行き、トラック運転手の時には車窓から眺める夕日が眩しかったのを覚えている。思い出も多い大切な海だ。
◆桑川海水浴場、弁天島
海岸線に沿って車を走らせていくと、海に突き出た磯場と良く整備された駐車場が出てくる。弁天島だ。日本中の漁村で祀られている弁才天のお社だ。水神としての一面を持つ弁天様は、漁師たちから海難避けや豊漁を祈って祀られている。
お社の傍まで自由に行き来できるようになっている。足元は少々悪いが、眼前に広がる海原に、なんとも心洗われるようだ。
この日の波は実に穏やかだった。あるがままの自然の形をそのままに、寄り添うように人々の暮らしが見えている。
三月にしては気温が高かったこの日、海の向こうに見える淡島が春霞のようになっていた。離島にはロマンが溢れている。ずっと新潟県民で、淡島は遠くないが、一度も行った事が無い。そう言えば佐渡ヶ島に行った事がある新潟県民は驚く程少ないらしい…。離島とはそういうものだろうか…。
ここだけでもこの海の良さが伝わってくれるだろうか。空気の澄んだ日の夕日は格別だ。自分はこの海でグリーンフラッシュを見た事がある。
●神様の前にもプラスチックゴミ
弁天島の入り口付近、鳥居のすぐそばにも海洋ゴミはあった。誰かがポイ捨てした物ではない、波風に押されて海から上がってきた海洋ゴミだ。海の安全と豊漁を願って祀られているのに…。
冬の日本海は基本的に荒れてばかりなので、冬の間が最も漂着物が多い。夏時分になると、大雨などで川が増水や氾濫を起こして河川周辺から大量のゴミを海まで流してくる。
◆景勝地『眼鏡岩』
笹川流れの海水浴場にはいくつか見所があって、その中でも代表的なのが『眼鏡岩』と呼ばれる場所だ。新潟県沿岸の地磯場には、『海蝕洞』と言う横穴が多く点在する。海蝕洞とは、波や海流などで長い年月をかけて浸食されて磯が削られてできた洞窟の事。海の中の洞窟…もうそこにはロマンしかない。
眼鏡岩を見上げるように、トグロを巻いて浜辺に横たわるロープ。誰かの落とし物や不法投棄ではない。ここに流れ着いた海洋ゴミなのだ。一見すると、こんな物が海流に乗って?と、思ってしまうが、実はこれクラスのロープゴミは珍しくない。むしろこの辺りではメジャーな部類に入るかも知れない。
●美しい地磯風景、でも一歩下がれば…
切り立った岩場に松の木が生える。松島の風景を思わせるようなこのシチュエーションは、これぞ日本の海岸風景と言えそうだ。透き通った海に穏やかな波、水面に写りこむ空が綺麗だ。
同じ場所で少し後ろに下がった所の写真、ゴミの吹き溜まりになっていた。こんなに美しい景色でも、このような一面を隠し持っている。勿論、コレは誰かのポイ捨てでも、ましてや誰かがここに漂着ゴミを纏めた物でもない。波風で自然とこうなったのだ。
笹川流れには大型河川の流入が無いので常に海の透明度は高めだ。海岸線を構成している地質も岩石類が中心なので、新潟市周辺と比べると随分綺麗な海だ。新潟市は広い泥炭地帯をかかえ、阿賀野川と信濃川の二大河川が至近距離に位置している。その為基本的に海が濁ってない事が無い。だから笹川流れは新潟市から一番近い最も綺麗な海なのだ。
天気が良く、家族で連れ立って海辺を訪れる人も多かった。波打ち際ではしゃぐ子供達の後ろには大量の海洋ゴミ。車のボディパーツまである。
『豊かな自然を子供達に』や、『綺麗な海を未来に』などのスローガンをよく見る。単刀直入に言って、そんな言葉だけのスローガンなんてなんの意味も無い物に見えてくる。
未来の事なんて、いつの時代も遠くが見通せない夜の道。でもどうやら、海には良い未来は来ないようだ。
◆海水浴場と海洋ゴミ
笹川流れという所は、地名的には『笹川』と言う小規模河川が流れる集落があって、その周辺の事を指しているが、国道345号線を中心に広義に越後早川の辺りから越後寒川の辺りまでを指してそう呼ぶ事が多い。その中にいくつか海水浴場が点在していて、有料駐車場やトイレなど整備が行き届いていて、夏季連休中は激混みを極める。
そんな海水浴場にも当然、海洋ゴミの漂着はある。
なんだか見慣れてしまっているが、冷静に考えるとゾっとする光景がそこに広がっていた。ここは板貝海水浴場だ。
波に押し上げられ、広くはない海水浴場の奥へと押し込まれている。海岸にそって伸びやかに続くプラスチックショアライン。足元を見ると、細かく砕けたプラスチック片が砂と混じって砂浜の一部と化していた。
なんだかここまで来ると芸術的にすら見える。この細かくなったプラスチック片が、更に波と砂に削られて繊維状になるまで細かくなる。魚がそれをエラ呼吸で吸い込む。
●砂浜の片隅に
少し離れた岩場の中に、横たわる屍を見つけた。かなり深くまで砂の中に埋もれているようだ。一体いつからここに居るのだろうか…。この場所は波の影響を受けにくいようで、こんな巨体では一度入り込むと二度と出る事は出来ないだろう。
自然ゴミと海洋ゴミが入り乱れている。『回収不能』、その言葉が刺さってくるような光景だった。
●あまり人目に付かない所も
岩場をカニ歩きで渡っていくと、ゴツゴツとした場所に出た。海水浴には向かない所だが、海蝕洞があったりしてアドベンチャー感が溢れる所だ。
無数の流木に絡まるように溜まったペットボトルと漁具のブイ。ペットボトルは比較的綺麗な物が多かった。この場所は国道の下なのだが、もしここのゴミを回収しようとするとかなり大変な場所だ。このすぐ上はトンネルになっているので、道路から直接このゴミを上げるのは難しい。
◆回収不能になってしまった海洋ゴミ達、それでも…
ここまで掲載してきた写真を見てもお分かり頂けるように、海洋ゴミは本当に回収不能な状態になってしまっている。それでも綺麗な海岸にする為に、地域によっては海岸清掃を行っている所もある。特にここ笹川流れのように海水浴場として公共に開かれている所は、海水浴シーズンを迎える前に一斉に清掃を行う。処分費用は基本的に税金だ。
こんな風に一か所に集められているのをたまに見かける。海岸清掃に関わる誰かが集めたものだ。事業的に一斉に行う場合、もっと凄い集まり方をしているのでコレはおそらく個人でささやかでも片付けた物だと思う。自分も、多少ではあるが大きい物を寄せておいた。
●令和2年7月1日からレジ袋有料化
昨年の6月に開かれたG20大阪サミットにおいて、『2050年までに海洋プラスチックゴミによる「追加的な汚染」をゼロにまで削減する』という目標を各国で共有した。日本はプラスチックの適正処理に関わる技術を途上国に対して、積極的に支援していく事を明言した。
レジ袋の有料化は象徴としての法律
更に注目されるのは、『レジ袋の有料化』。法律によってこのような動きが出てくるのは、自分個人としては画期的のように思う。この事で大切なのは、『レジ袋は象徴である』事をシッカリ理解しなくてはならない。当然のように「レジ袋なんか有料化したってたかが数円、その程度の事でゴミは減らない!」と言う意見を多く目にする。それはとても稚拙な考えで、政府もコレで何かが劇的に変わるとは思っていない。ただ、今までタダで手に入るのが当たり前だったレジ袋が、『海洋汚染防止という目標の為に有料化された』事は多くの人の意識の中に刷り込まれた事だろう。この事でプラスチック=海洋ゴミと、超身近なレジ袋を通して連想されやすくなった。こうして意識改革を行う事で、『様々な啓発が届きやすくなる』と言うメリットも生まれた。意識が無ければ関心など持てないから。
◆自分の世代でも既に、綺麗な海を知らない
自分が子供の頃から既に漂着ゴミは問題になっていた。90年代の終わりには、危険物用のタンクや注射針などの医療器具と言ったとんでもない物まで流れ着くようになっていた。あの時には既に、公害なんてレベルの話では済まなかったのかも知れない。
磯場や砂浜はかつてどんな姿をしていたのだろう?漂着ゴミの無い海岸線、無数のプラスチックゴミが彷徨う事のない海流。最早その姿を『海』自身ですら思い出せないのかもしれない。
笹川流れ
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