この四連休、元々富士の樹海へ友人と行く予定にしていたのだが、コロナ騒動のお陰でどうもそんな事してられる空気ではなくなった。それ以外の予定や計画は特になかったので、完全に持て余してる。
そんなこんなで自宅で資格取得の勉強をしたり、PCのデータを整理したり、細かいやる事は結構あるので退屈はしないのだが、これがよっぱらになるんですよ。。。とりあえず軽く気分転換で瓢湖へ蓮の花を見に行ってみた。チョット時期も遅く、案の定散り始めてワァーっと咲く花畑にはなっていなかったが、カメラを持っての散歩はいい気分転換になった。
◆時間差で咲いては散る蓮の花
蓮の花って、見慣れている人ならピンと来るかも知れないけど、花が散って種を付け始めている株がある傍ら、ようやく蕾がニョキニョキ出てくるところの株があったりと、結構長い間その花姿を楽しむ事が出来るのだ。それでもやっぱり一斉に咲いている圧巻の風景が見たいな。
蓮の花って、朝のうちに咲いて昼過ぎには閉じているので、午前中に行かなければならないのです。花の寿命は確か三日ぐらい、タイミングが肝要ですな。
瓢湖の奥にも蓮が広がる湖がある。みんな手軽に表の湖に居るので、人混みが嫌いな自分はいつも奥に行く。ここの方が人家も写らないし、蓮の密度も高い。花になっている株よりも、湖がある。みんな手軽に表の湖に居るので、人混みが嫌いな自分はいつも奥に行く。ここの方が人家も写らないし、蓮の密度も高い。花になっている株よりも、花托になっている物の方が多い印象だった。
向こうの景色の中に、名物の橋と野鳥の観察小屋が見える。そのすぐそばにバックホーがあって、チョット写真映えが悪くなるので葉っぱに隠れる角度で写した。
今にも散りそうな蓮の花。自分としてはむしろ、この姿にこそ力強さを感じる。命の散り際って、生命力が一番見える化される瞬間だと思うのです。ちょっとヤバい事言ってるかな(汗)
◆水辺に住む生き物達
水辺の植物は、その周辺に住む生き物達の隠れ家になったり、餌になったりと大切な存在なんですね。
水辺では珍しいトンボが沢山とんでいます。やたら細かったり、やたらデカかったり、やたら黒かったりw見ていて飽きないですよ、突然ケンカが始まったかと思ったら急に止めて並んで葉っぱに止まったり。よく分からんけど面白いですw
大きな蓮の葉は日陰にも隠れ家にもなる。ちょうどカモ達の子育てもひと段落の時期、このカモの傍にはチョット大きくなった子ガモが草をワシワシ食べていました。
羽化直後には捕らえられたのだろうか…これもまた、一つの命の在り方だ…。
白鳥で有名な瓢湖には、翼を失った白鳥が一年を通して水辺で暮らしてる。一見痛々しくて可哀そうな光景だが、『保護』と称して檻の中に閉じ込められるくらいなら、ひょっとしたら多少大変でもこうしている方が彼らにとっては快適なのかも知れない。冬になればまた沢山友達が来るね。
◆過ぎてゆく季節を感じる
子ガモが大きくなってたり、日差しが痛く感じたり、花が散ってしまったり…そんな風にして季節が巡り、いつか自分も死んでいく。
また来年も同じく巡れるように…チョット気が早いかw