今年の梅雨は少々長引いているようだ。でもそう遠くない過去に何度もあった事だし、一昨年の激暑に比べりゃ全然マシなことだ。。。一昨年は新潟で気温が、観測史上初の40度を超える日があった。稲作も一反辺り8俵を切りまくる不作年だったし…(米の取れ高は、田んぼ一反で8俵を目安にして不作豊作を見極める)。
そんなこんなで今年は涼しくて実に良い!日中はそれなりに暑い日もあったけど、朝晩が平年並みなのでエアコン無しでも十分快適なくらいだ。そんな梅雨の間に、庭先で梅雨の風景を撮ってみた。コレが案外絵になるので、これならジメジメな日々も悪くないと思う。
◆どんより天気も綺麗な景色
雨が降って、光が少なくて、どんよりしていても、むしろそれを『良さに変える』事が出来る。カメラがデジタルになって様々な表現ができるようになった。表現ってのは、『自分の目にはこう見えた!』みたいな事で良いと思う。
我が家の庭で自生している花。大婆ちゃんが手入れしているので、自分は花の名前すら分からない。雨に打たれて重くなった葉が、花を押し倒してもたげてしまっている。
雨の日でなければ、こんなに瑞々しく映らないし、どんよりと影を背負っている方が、季節の哀愁を纏って心に刺さる。
水滴がはじかれるように葉の上に並んだ。しとしと降る雨に、次から次へと落とされていく。
我が家の庭のアジサイ。梅雨と言えばコレと言っても過言ではない存在感だ。空は分厚い雲に覆われていて、花や葉の色も重く感じる。
我が家の庭には、よく分からない植物が色々生えている。
風も無く降り続ける雨の中に、ハラハラと蝶が舞う。雨が降っていても、花から花へと忙しそうだ。
●カメラの機能の仕上がりイメージは遠慮なく使いたい
デジタルカメラに搭載されている写真の『仕上がりイメージ』の機能は、人によっては『邪道だ!』とか、『加工だ!』と言った風に言われる事もある。でも折角自由に表現できるのだから、『自分の気持ちに一番近い表現』として積極的に使っていきたいと自分は思っている。特に自分は写真のセンスがあんまり無いので、その辺の足らない部分も大いにカバーできるしねWw
◆光溢れる梅雨の晴れ間
雨が上がった後の晴れ間は、空気が綺麗になるので景色がクリアでとっても綺麗だ。今年の様な長雨の年には、この晴れ間がより際立つ。
●ビビットになる青空
チョット大袈裟に彩度を盛ってみたw。自分からみた梅雨の晴れ間ってこんな感じ。
そう言えば、アジサイばかり構っていたらいつの間にかハスの花の時期になっていた。
昼間散々降った雨が、夕方近くになって上がると眩しい日差しが出た。
●梅雨の夕景もまた美し
夕日に照らされた雨露の、なんと美しい事か。
絵になる光景だと思うのだが…。
正直もう、言葉が出ないのだ。なんでこんなに夕景は人の胸に刺さる物を持っているのだろう。自分にもっと写真力があったら…或いはコレを伝える事が出来たのにと思う。
◆この梅雨は、自分に多くを学ばせてくれた
こうやって自宅の庭でシンプルに撮影してみたけど、振り返ってみれば我ながら良い出来で撮れた方だと思った。天気が悪い分、貴重な光をどうやって生かすか、それでいてどうやって梅雨らしい空気を出すか、そんな事に集中して撮れたように思う。『写真は引き算だ』との名言があるが、GRⅢで接写しているとホントに実感する。勿論、それは答えではないのであくまで良い考え方の一つだ。この梅雨はコレを改めて学べた。
あぁ…そんなこんなしている内にまた晴れ間がやって来た。止まずに降り続けているワケじゃなし、案外空は綺麗なものだ。。。