山菜は季節の変化がとても豊かで楽しい自然の恵みです。長い冬を越えて訪れて春は慌ただしく過ぎていき、かつての季節を忘れてしまうほどの『夏』が訪れます。
シーズンの始めに山に入った時にはまだ、木々の芽吹きもチラチラと静かなものでした。半月ほどで森は賑やかに彩り、麓や平野部に至ってはすっかり初夏の様相を呈しています。
新潟の美しい山菜達を求めて山歩き・前編 ~2022春~ – Crop-of-Life ←前回の記事はコチラ
自分の春の山菜山歩きは『ゼンマイ』を追い求めて終盤となります。と言うのも、ゼンマイは結構な山奥で出ているのですが、雪が深く融雪に時間が掛かるため結果的に最後になるのです。山菜類の中では比較的早く出る方なのですが、残雪が多く気温が上がらない為なんだかんだ最後の方になるのです。
そんな山菜を求めて山歩き、後編はゼンマイを中心に春と初夏の微妙な季節感の山や森の風景と共にお送りします。
目次
- ◆春から初夏へ、季節変わる山奥を歩く
- 季節の風景
- ◆初夏から逆に春へ、本格的に景色が変わる
- 山奥はこれからが本格的に春の時期だった
- ようやく本命発見
- ◆手間とゆっくり流れる時間、ゼンマイは故郷の香り
- ◆自然に触れて、『生きる事』を考える
–
–
◆春から初夏へ、季節変わる山奥を歩く
林道を外れて奥を目指す道(…と呼べるか怪しいですが)を入る。所々に水が流れているのですが、雪解け水がこの時期だけの小さな沢を作っています。
その奥からコロ…コロ…クゥ~と、不思議な可愛らしい鳴き声が聞こえてきます。モリアオガエルでしょうか。毎年この鳴き声が聞こえる頃が丁度季節の境目と感じています。
●季節の風景
ゼンマイは山菜の中でもより湿気を纏うような所を好みます。ウルイやワサビと同じような条件の所ですね。それでも一応シダ類なので結構逞しいタイプの山菜でもあります。ヤブが茂る斜面やあまり沢などが絡んでいない樹林帯の中でも出ている事がよくあります。
道なき道を進んでいると、頭上に山ツツジが咲いていました。木漏れ日が煌めいてとても綺麗です。
このくらいの季節の山歩きは暑くもなく寒くもない、ジメジメもしていないし乾燥も気にならないホントに丁度良い時期ですね^^。
旬が過ぎたゼンマイ
程なくして今日のメイン、『ゼンマイ』を見つけました。
『あれ?ゼンマイってこんな感じだっけ?もっとクルクルしてなかったっけ?』と、思うでしょう。ハイ、これは開ききって旬が過ぎた物です。ゼンマイって、成長するとこんな感じになるんですよ^^。
ここはまだ目的のポイントのずっと手前なので、先に雪が解けて出ていたようです。今年は色々忙しくて自分も予定より5日も遅れて山に入りました。山菜は畑の野菜と違って一日でもタイミングがズレると状況が結構変わってしまっています。
この様子だと思っていた以上に季節は進んでいそうだ。。。
◆初夏から逆に春へ、本格的に景色が変わる
もう十分山奥には居るのですが、ここから更に奥を目指して進んでいきます。ここまで来るとなかなか絶景と言える場所も出てきます。
●山奥はこれからが本格的に春の時期だった
結構な残雪帯をいくつか超えて来るのですが、さすがにこの辺りはちょっと寒いです^^;。渡渉地点も雪渓状態で、しかも中はトンネル状態でおっかなビックリ超えてきましたw。
カタクリと赤コゴミ
この辺はまだまだカタクリが見頃でした^^。麓の方じゃとっくの昔に姿を消してしまっていますが^^;。
一緒に生えているのは、この辺りで赤コゴミと呼んでいるものです。イッポンコゴミと呼ぶこともあるそうです。これも麓周辺では完全に開いてしまっていました。
このポイントだけでも麓と比べたら一月以上季節が違います。
ミズ(ウワバミソウ)
ミズという山菜で、本称をウワバミソウと言います。麓の方ではすっかり採集時期を終えていましたが、この場所ではまだまだ小さく、採集には向いていないサイズです。
崖の上のウルイ
ゼンマイは崖や斜面でもよく出ているのですが、岩肌が出ている所をよじ登っていくと出たばかりのウルイを見つけました。
前回の記事の時点では発見したウルイの多くがとっくに旬を過ぎてしまっていたのですが、コチラは丁度食べ頃の物です^^。
今の時期にタカノツメ!?
今シーズン最初にタカノツメを採集したのはもう一ヵ月も前の話です。比較的早い時期に旬を迎える為、タラの芽などと合わせて時期の最初の方で見かけます。
天然の植物にとって一ヵ月と言う期間は相当なもので、大半の種類が見た目が完全に変わってしまう程の時間です。
これは一番食べ頃と言っても良い程のタカノツメで、さすがにこれがお目に掛かれるとは思っていませんでした^^。
●ようやく本命発見
ここまで来る間にもそれなりに見つけてはいましたが、どれもこれも旬を過ぎてしまって採集には向いていないものでした。
ここまで入ってくれば何とか良い物があるだろうと期待していました。
ようやく本命の『旬のゼンマイ』を見つけました^^。
ゼンマイの名称の由来は、『ゼン(銭が訛った)を巻いている』からきているそうです。この葉の部分が開いていない物が旬の良い物です。開いてしまうと全体的に固くなってしまい、筋が通ってとても食べられるものではなくなってしまいます。
男ゼンマイ
男ゼンマイと呼ばれるものがあります。『ゼンマイに男も女もあるの?』と思うでしょうが、男ゼンマイというのは繁殖するために胞子を出す胞子葉の部分を指しています。
ゼンマイはシダ植物なので花は咲かない
シダ植物は基本的に花を咲かせませんし、種子も付けません。なのでこの男ゼンマイの部分が花や種の役割を果たしています。この胞子葉は、見た目がゴリゴリしているのですぐに見分けは付きます。反対に先程の葉っぱになっている物を栄養葉(通称女ゼンマイ)と呼びます。
胞子と言ってもキノコのようにホコリが飛ぶような感じはなく、もう少し粒感はあります。
男ゼンマイは採集しない、栄養葉もある程度残す
採集の際はこの男ゼンマイを残します。食用にするのは栄養葉の方です。胞子葉を採ってしまうと、後々繁殖に影響が出ていしまいます。他にも胞子葉は栄養葉よりも先に発生するので、栄養葉が採集できる頃には硬くなって食べられなくなっている事でしょう。
なら栄養葉なら全部採って大丈夫かと言うとそうではなくて、栄養葉を全部採ってしまったら今度は胞子葉が育たなくなってしまいます。一度に沢山出るのもゼンマイですが、実際に採集できるのは見た目ほど多くない事に注意しましょう。
群生するゼンマイ
ゼンマイなどのシダ類はとにかく群落を形成します。この斜面には写真では到底納まりきらない程の大群落を形成していました。残念ながら見事に全部旬が過ぎていましたが^^;。
特にこの斜面は条件が良く、程よく水が流れて・半日日陰で・でもちゃんと朝日が当たってるこのテのジメジメ系植物にとって最高の場所となっていました。
まだ至る所に残雪があるエリアですが、こんな風に条件が良ければあっという間に成長してしまいますね。
◆手間とゆっくり流れる時間、ゼンマイは故郷の香り
自分が子供の頃、まだ県北の集落で暮らしていた頃は毎年春になると、集落のお母さん達でゼンマイを採りそれを大きな釜で塩茹でにして揉み干していました。現在でも結構な田舎に行けば見られる光景ですが、さすがに若い人でこれをやる人は皆無に等しいくらいになってしまいました。
●塩茹でして天日干し
ゴザに並べたのは塩茹でしたゼンマイです。頭の葉の部分を採り除き、汁が赤くなるまでグツグツ茹でて水で〆ます。
天日に晒してよく干すのですが、このまま干しっぱなしにすると干乾びてボロボロになってしまうのです。しかも繊維質が残ってしまい、戻して食べる時にゴリゴリの食感になってしまうのです^^;。
あと、しっかり天日に晒さないと後々カビが生えてしまいます。多分天日干し系は魚とかでもそうなのでしょうが、天日干しにする事で殺菌し長持ちするようにしているのです。
●干しては揉み、揉んで天日干し
天候に恵まれれば2、3日で済むと思います。自分は大抵そのくらいで終わっています。
半日揉んで、半日干して…ずっとそんな調子です。特産品として出荷されているような物になるとこの工程だけで一週間ずっとかかりっきりになっている事もあります。どのくらい時間が掛かるかは採集した量によると思います。
サラリーマンはどうしたらええねん…
普段会社勤めされている方が、自分で干しゼンマイを作ってみたいと思った時にこの手間が一番ネックになると思います。なんせかかりっきりなんで…。
ある程度品質に妥協できるのであれば、天気の良い朝に半日日陰になる所に出して、仕事が終わって帰ってきたら寝るまでの間ひたすら揉む。次の日も同じように天日干しにして、帰宅したら固くなり過ぎないようにひたすら揉む。。。こんな感じでそれなりの干しゼンマイを作る事ができます。
日中干しっぱなしなんで、三日くらいでできるのではと思います。このやり方だと、ゼンマイの根元がプラスチックみたいに固いままになる事があります。水で戻しても結構硬いままで(自分は気にせず食べちゃいますが)、食感とか気にする方にはおススメはできません^^;。
ですが良い香りには変わりなく、味も出てとても美味しいです^^。一番のおススメは牛肉との煮物ですね!
◆自然に触れて、『生きる』事を考える
人間がまだ自然の一部だった頃、自分達で食べる物は自分達で手にするのが当たり前でした。
文明が発達して人間の暮らしはどんどん便利になり、かつて暮らしの中にあった食べ物の不安の殆どが取り除かれていきました。
ですがそれと同時に、ある意味一番大切なものを失いました。それが『命は命を取って生きている』という事です。
お店で売っている肉や野菜は誰がどうやって供給してくれているか、ちゃんと答えられえる人は少ないでしょう。肉に至っては世間の殆どが見て見ぬふりです。そして、その殆どが供給過剰です。
あまりエラそうな事は言えませんが、今一度自然に触れて、足るを知り、命を取る事の意味を考える…そんな機会があっても良いのでは?と思うのです。
現代の文明力で更に自然の尊さを知る事ができれば、こんなに生きる事が楽しい時代はないのではと思います。
コメントを残す