新潟県中越地方、魚沼、長岡、三条に山域を分けるように広がる越後山脈の一角、守門岳。標高は1.537m、冬は東洋一の大雪庇で有名な山。雪庇が無くても伸びやかに広がる稜線が圧巻の景色を作り出している。
ゆったりと登っていける
訪れた時期が6月ということもあり、登山道には様々な花や植物がお出迎えしてくれた。この日の朝は、前日に振った雨のおかげで空気は澄んでおり、木々は朝露を纏って光っていた。天気は晴れだったが、ガス残りがあって山頂での展望が心配された。
足元の草でズボンの裾やブーツがすっかり濡れてしまった。登山道は基本的に十分な広さはあるのだが、所々狭くなる所がどうしてもあったり、何より草木が一番茂る時期なので両サイドからせり出てどうしても喰らってしまう。これもまた、登山の醍醐味か。肌で自然を感じる。
これはゼンマイだろうか?少し違うような…まあいいや、綿毛が朝露を乗せて瑞々しく立っている。きっと帰りにここを通る頃には両手を空に向かっていっぱいに広げている事だろう。
お馴染みのカタクリ。新潟の山は割とどこにでも咲いているが、一部の群生地は人工的に移植栽培されたもの。純粋に天然カタクリが見られるのは、ある程度標高が行った所ならでは。守門は新潟県の中でも指折りの豪雪地帯なので、咲き始めも随分後になる。六月に入ってもこれだけ新鮮にみられるのは豪雪地ならでは。
手のひらに水滴を乗せてみせてる森の妖精。まるで遊ぶような姿だった。
ヒメサユリ。オトメユリと呼ぶ地域もあって、宮城県南部、飯豊山系、吾妻山、守門周辺にだけ生息する大変貴重な花。植生域が限られている花なのでかつては盗掘も多かったそうだ。高山に自生するユリ科の花は魅力的な花姿を見せてくれるが故に、そんな被害も多いのだろうか、この手の話はいまだに耳にする事もある。
写真ではいまいち伝わらないが、かなり大きな花だ。守門岳のお隣の浅草だけでは、山頂付近で沢山咲き乱れる賑やかな光景を見る事ができた(いずれ記事にしたい)。
ガスを纏いながら、腕組みをして下界を見下ろす圧巻の稜線風景
いよいよ稜線に出た。ここまで来るとまだ残雪が分厚く残っており、豪雪地帯の威厳を示しているような風景が広がっていた。
そんな残雪煌めく稜線は、ガスの向こう側に伸びやかに続いていてしばしその偉大さに足を止めてしまう。文字通りの『圧巻』だった。自分にもっと写真のウデがあったらきっともっと伝わるように撮れたかもしれない。この写真を見る度に、少し悔やまれるような気持になってしまう。
稜線を越えていくと木道が伸びていた。高山域の植生を守るためにメジャーな山ではしばしばこのような整備が行き届いている(マイナー山ばかり行っていたので、この時は珍しく思った)。
木道が整備されていると泥に足を取られなくて済むので歩きやすくて良い。しかしいつも思うが、ここに材料と工具や機械を持ってきて、地ならしして、杭を立てて、踏面を貼りながら枕木を打ち込んでいく。なかなかに土木作業だと思う。これを整備するためにわざわざ歩いて登ってこなければならないのだから、その大変さは道路整備のそれとは比べ物にならないし、儲かる仕事ではないからこれこそ愛がなければ成り立たない。一登山者として大切にしなければ…!
360度見晴らせたハズの山頂…
稜線に出てからは比較的スムーズに山頂に到達した。整理した関係であまり過去写真が残っていないが、山頂に近づいたタイミングで結構な勢いでガスに巻かれた。なので殆ど良い写真が撮れていなかった。
結局残っていたのはこの一枚。しかもHDRで撮影したもの。山頂からはお隣の浅草だけがよく見えた。
復路では守門岳が見送ってくれた
ガスが晴れるまでしばらく山頂で粘ってみたが、結局帰りの時間に。立ち去ろうとしたその瞬間、団体の登山客に写真撮影を頼まれたのよく覚えている。この方たちはおそらく自分が手隙になるのを待っていたいたのだろうと思う。
木道を渡る最中、ふと後ろ振り返ると青空が広がり始めていた。その空はもうすっかり夏だった。
下りの登り返しポイントで改めて稜線に向かって振り返ってみた。この頃にはすっかりガスも晴れてその全体像を見せてくれていた。伸びやかで、勇壮で、静かな山容は『神様』として大切にされてきた守門岳の誇りそのもののように思う。
次回は冬
この山行行った翌年の3月に再び訪れている。その時は『東洋一の大雪庇』をこの目で見る為にアタックした。折しも数年ぶりの豪雪年で、タダでさえ雪が多い守門エリアでも輪をかけて雪が降り積もった。
更に天候にも恵まれて非常に良い山行となった。この記憶は生涯ずっと胸に残る事だろうと思う。それはまたいずれ。
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