福島県南会津郡下郷町に在る、江戸の宿場風景を今に残す『大内宿』。会津若松の町から南へ車で約40分、国道から少し山手へ入った所にある。まるで時代劇のような宿場町の風景が印象的な観光地で、かやぶき屋根の建物にはお食事処やお土産屋になっており、中道に沿って通る水路には夏になると便ラムネが冷やされていてなんとも風情満点だ。
大内宿を紹介する様々な媒体でもお馴染みの場所から一枚。かやぶき屋根の趣ある風景を一番奥に向かって歩いて行くと、里山の神社に向かって伸びる急な階段(緩めの坂道もある)を登っていくと、大内宿の風景を一望できる展望台のような場所に行ける。勿論ここは一番人が集まる場所と言っても過言ではない場所。記念撮影の人達で大賑わいだ。
この里山、チョット林道を散策できるようになっていて、反対側からまた町屋の方へ降りることができる。ノスタルジックな田舎の散歩を楽しめるのだ。
守られている風景と文化、そして仕事。
高台から宿場町の風景を眺めていると、一番手前の家でかやぶき屋根の葺き替え工事が行われていた。この日は定期メンテナンスだろうか、大勢の職人さん達が手際よく作業を進めていく。きっと大昔もこんな風に屋根の葺き替えを行っていたのかな?江戸時代にここに住んでた人がこの風景を見たらなんて思うのだろう。
折角なので望遠レンズでその手際を収めさせて頂いた。よく見るとかやは幾重にも重なって葺かれていて、そのどれもが分厚く均等に並べられている。これが全て手作業なので大変だ。
こんな風に並べては紐で縛り、また束ねて並べて紐で縛る。職人作業は繰り返しの工程が多いが、規模が大きくなる大工仕事は大変だ。動きも大きくなる。この紐は麻紐だろうか?
専用の道具だろうか、木槌のような物でかやを押し整えていく。
現場仕事では常に仕事を教わる人が居て、大事な職人仕事はいつもこんな風に次の世代に受け継がれていく。これもその風景だろうか。
かく言う自分も外仕事が長いので、現場での立ち回り容量と言うか、動きのニュアンスみたいなものはよく心得ているつもりだ。運ぶ、作る、見直す、また運ぶ…飽きっぽい人には少々厳しい繰り返しの作業。そして地味に体の節々にくるwでも機械や電動工具なんかなかった時代はみんな人力でやった。むしろ道具が発達したのはここ数十年の話だ。
『AIが人々の仕事を奪う』なんて騒がれて久しいが、いくらAIが素晴らしくてもかやぶき屋根の葺き替えはAIには無理でしょう。AI以前に作業するためのロボットが必要で、そのロボットが職人並みの身体的動作をできるようにならないといけませんから。そんなターミネータみたいなロボット(サイボーグか?)が出来たらまず軍事利用が先でしょうし、今のところ自分が生きている内に実現する気配は無い。車でさえ空を飛ぶどころか内燃機関無しでは走れないのだ。
絵本のような原風景
大内宿の見所はかやぶき屋根の古民家だけではない。それを取り巻く里の風景は、まるで昔話の絵本で見たような日本の原風景だ。
この日は天候に恵まれて、青空、里山、宿場町のきれいな組み合わせを拝めた。自分が小さいころ暮らしていた里も、こんな風景だった。
宿場から少し離れた所にお宮様(神社)があった。植林杉の向こうに静かに佇むその姿は、ずっと昔からこの里を見守ってきたのかなと思うと感慨深いものを感じた。この石段だって、きっと何百年も前に造られた物。
賑やかな声が響く宿場と違ってここではガラッと空気が変わっていた。観光客はあまりここには立ち寄らないのだろうか?時折人は来るが、里山の小鳥たちの囀りが聞こえる以外はとても静かな所だった。
冬の風景も格別
ここまでの写真は全てK-70で撮影した物。K-1を購入してからも立ち寄った事があって、その時は冬だった。一気に出していきたい。
なかなか写真欲が湧いてくる風景だった。夏にかやの葺き替え工事をしていた家は無事に冬を迎える事ができたようだ。
こうやって改めて当時の旅行を振り返ると、『もっと上手く撮っておけばよかった』と思う。まあ、それを言ったらキリのない話になってしまうが。
そういえば岐阜県の白川郷は、里の風景を一望できる高台に上がるには料金が必要になるとか…。詳しいことは分からないが、観光客のマナーが悪かったりするといずれここも高台は有料になってしまうのだろうか。
景勝地の多くは地元の人が守り続けてきた風景であることが多い。訪れるなら、それも踏まえて共に景観を守る気持ちでいたいと思う。
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