我が家にはもう100歳近い大婆ちゃんが居ます。こんな歳ですが、お陰様でボケてはおらず(年齢的に頭が回らない事は多々ありますが)、寝たきりとかでもないので介護もそこまで手間がかかる程ではありません。
歳のせいもあって多少しょったれこき(新潟弁でだらしないの意味)な面も目立つようになりましたが、まぁそこら辺は許容範囲と言う事で^^。
ここ最近思う事があるのですが、人は皆誰一人例外無く必ず老いていきますが、やはり30代とかではなかなか自分が老いる事のイメージができないワケです。
ただ、そんな中にあっても例えば一番身近であろう自分の親とかは目の前で必ず自分よりも先に老いるワケです。自分が30代にもなれば親は当然子供の頃と比べれば分かりやすく老いているものです。その更に親になる爺ちゃん婆ちゃんなんて凄まじく老いているワケです。
自分は入り婿なので今回の記事に登場する婆ちゃんとは血が繋がっていませんが、一緒に暮らす大切な家族として大変な時はお互いちゃんと力になれています。
血の繋がっている爺ちゃん婆ちゃんは自分が子供の頃に亡くなりました。亡くなった年齢は60代でしたが、当時はそれで『早い』なんて事はありませんでした。人間の寿命はここ30年で超飛躍的に伸び、結果日本は世界でもブッチギリの超高齢化社会になりました。
我が家の大婆ちゃんは執筆時点で97歳。なんだかんだもうすぐ100歳です。
この高齢化社会においてこのくらいの婆ちゃんは珍しくありません。ですが、自分の家族である自分の大婆ちゃんは自分に【老いる】と言う事を身をもって教えてくれているのです。
核家族化が進んで年寄りと暮らしている人は少ないと言われています(だから近頃若さの概念が壊れているのか)。自力では到底理解しえない老いと言うものをちゃんと見る事ができる自分は幸せ者なんです。
目次
- ◆老い方は自分で選べる。それが生き方になる
- 自分も年齢を重ねていき、言葉の意味が変わる
- ◆ずっとここに居る事を選んだ大婆ちゃん
- 土いじりに生き甲斐を見出す
- 車の免許は持っていない
- 【置かれた場所で咲きなさい】
- ◆大婆ちゃんと秋の空
- 人は必ず死ぬ
◆老い方は自分で選べる。それが生き方になる
自分がどんな風に年を取りたいか考えた事はありますか?。ハリウッド映画に出てくるオヤジ主人公(インディージョーンズとか)に憧れて、どうせオッサンになるならこんな風にイケオジになりたいと思う事はあります。
ですが現実なかなかどうしてそうはいかないものです。
自分はこれまで、自分の同世代の人よりもずっと多くの目上の方と関わってきました。その中でいつも感じるのが『いつの間にか年を取っていた』と語る人が多い事。
毎日忙しく働いていると、新しい何かを学ぶ事もなかなかできないでしょう。
家族を養うためには想像以上にお金がかかるもの。それを稼ぎ上げるのは大変な事。
自分が若い頃に見てきた大人たちは、いつも何かに追われて、いつも何かに意識を取られて生きていました。自分の自由に自分の人生を過ごせていないように見えていました。
●自分も年齢を重ねていき、言葉の意味が変わる

いつの間にか年を取っていた。そんな言葉にネガティブな印象を抱えたまま20代を過ごしていました。その上でやっぱり自分はこうはなりたくないと自然と思うようになっていました。景気の悪い時代が長く続く日本では、そういった意味でもそう思う部分もあったのでしょう。
そうやってフラフラと色んな事をするもヨシ!、一本気に決まった事だけをするのもヨシ!。そうやって生きていくと自然とそういう年の取り方をするものです。
そんな中にあっても、結局選択は自分自身がしているもので、一見強制されていると言うか、追い込まれて仕方なく選んだ道でもそれなりに自分の意思が反映されているもので、どうしても納得いかなければある程度の代償を支払う…それは例えばやりたかった事を諦めるとか、これまでの労力を無かった事にするとかでもう一度別の道を選択し直す事はできるものです。
先に話を出したインディージョーンズは、考古学者なのに現場で超武闘派の大冒険を繰り広げます。本人がそれで良いか悪いかはさて置き、そうやってジョーンズ博士は子供の頃の自分が『どうせジジイになるならこんな風になりたい!』と憧れるようになったのです。
と、逆に若い頃に見てきたこんな風には絶対なりたくない大人達も同じように、それを自分で選択してきたり、或いは選択を諦めてきたわけです。
◆ずっとここに居る事を選んだ大婆ちゃん
大婆ちゃんが我が家にお嫁に来たのは今から70年以上前の事だそうです。正確な時期はもう誰も分からないらしく、唯一知っているであろう大爺ちゃんはもう30年近く前に逝ってしまっています。
当時は近い地域の農村で嫁を融通し合う感じの文化がまだ根強く残っていました。なので、大婆ちゃんは別に我が家にお嫁に来たかったわけではないそうです。大体農家に嫁に行くなんて、令和になった今でもできれば避けたい選択肢でしょう^^;。逆にその後の大婆ちゃんの子供の時代に別の農村に嫁を出した事もありました。本人である親戚の叔母さんから直接聞いています。
『別に好き好んで農家に嫁ぐなんちゃ~こったまわりぃ事ありゃせん。せんでよけりゃせんばったが、隣近所の目があったすけ…』
世間など顧みず、何度離婚しようと思った事かと語っていました。それでも叔母さんはなんやかんや嫁ぎ先に残る事を選択したようです。
●土いじりに生き甲斐を見出す

土いじりとはすなわち、農作業全般を指す言葉です。田んぼやったり畑やったり、花を育てたり。大婆ちゃんはそんな土いじりに自分の生き甲斐を見出す事でこの家に残り、土と共に年を取る事を選びました。内容的にはもっと長話でしたが、本人からそのように聞きました。
暇さえあればずっと雑草取りをしている。年を取りすぎてしまってさすがに以前のようにガッツリ畑仕事ってワケにはいかなくなりましたが、座りながらでもできる草取りが一番楽しいようです。
『こんげ役立たね年寄りババ、横んなってるだけでは大迷惑だすけな~んか役立たねばとおもてるすけ…』
これまで自分がやってきた事の中から、今の自分にできる仕事として草取りを熱心にやっています。
【人はどんなに年をとっても、何か役に立てる事はないかと常に考えながら生きている】
これはひょっとしたらまだまだ高齢化していくであろうこれからの時代、我々が最も知っておかなければならない事なのではと思います。年を取った自分に何ができるか…どんな事で役に立てるか…大婆ちゃんはそんな事を自分に教えてくれています。
●車の免許は持っていない
地方に暮らしていて車の免許を持っていない事はかなり致命的なのですが、大婆ちゃんくらいの世代の人では結構居たりします。敢えて取らなかった場合もありますが、大婆ちゃんは『女は車に乗らんでいい!』と言った具合で免許を取らなかったようです。
これはすなわち仕事にも就けないしどこへも行けない事を意味します。
●【置かれた場所で咲きなさい】
瀬戸内寂聴さんの言葉です。
まだ自分はエラそうな事を言えるモンじゃございませんが、大婆ちゃんはこれを地で生きました。
できますか?どこへも行かず、会社に勤めず、ただ家に付くだけの人生。そのまま100歳まで生きる自分を想像できますか?。
想像できたとして、死ぬ時にちゃんと『あぁ…良い人生だった…』と言えそうですか?。
人はある年齢までは、自分はきっと何かを成し遂げる事ができる人間だと思っているものです。20代の頃自分もそうでした。だから何もしないで年を取っていく人を見て『生きてて楽しいんだろうか…』と勝手に考えた事だってあります。
自分の人生なのに全然思うように生きていけないものです。大婆ちゃんの生き方は、そんなどうしようも無い現実との折り合いを付け方を教えてくれているようです。

◆大婆ちゃんと秋の空
実りの季節も終わる頃、食用菊が畑の一角を賑わせると、よく晴れた日には子蜘蛛が風に乗って遠くへ遠くへと旅に出る。
『ほんにあったけ』
きっと大婆ちゃんが自分くらいの頃のこの時期の新潟は、こんなに温暖な気候ではなかったはず。だから秋も深まる頃によく晴れるといつもそんな風に言っている。

だから雨も降っていないのに畑には草がよく生える。
それをいつもの刃がちびたカマを使ってザクザクと刈り取っていく。単純作業は気晴らし…と、言うか癒しのようだ。

大婆ちゃんはきっと、人生の中の秋の終わり頃に居るのかも知れない。もうすぐ訪れる、死という冬の季節に備えているのかもしれない。
冬を超えれば必ず春がやってくる。春がくれば必ず新しい芽が吹く。春がくれば必ず温かい風が吹く。そうやって命は生まれ巡っている。

仏壇に手を合わせる大婆ちゃん。我が家に代々伝わる古い仏壇。
自分もいずれここに登る事を知っているし、だからと言って別になんとも思っていない。

食用菊を毟る。新潟では秋の味覚として広く親しまれている。
以前は早く綺麗に毟れたのだけど、年々上手く毟れなくなっていく。
年を重ねる毎に技は磨きが掛かっていくものと思っていた。でも実際はある時を境に急速に衰えていく。自分のものと思っていた練り上げたあらゆる技も、やはり年と共に衰えていってしまう。
●人は必ず死ぬ
どんなに善人でも、どんなに悪人でも、どんなに成功をおさめても、どんなに悲劇に見舞われても、どんなに人に慕われても、どんなに人を意地悪にイジメても、どんなに思いやりに溢れても、どんなに自分勝手に振舞っても、どんなに悪口を言いふらしても、どんなに沈黙を貫いても、どんなに財産を貯め込んでも、どんなに負債を抱えても、どんなに喜びに満ちていても、どんなに悲しみに打ちひしがれても、人は必ず死ぬ。絶対に例外は無い。
死は、生まれた瞬間に確定する。早いか遅いか、違いはたったそれだけ。
生きると言う事は単純に言えば老いると言う事。
老いると言う事は…さて、人生まだまだ勉強です^^。

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