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2020-12-24

今年も残すところあと半月、自分の写真を真面目に考察してみる ~被写体(テーマ)編~

 なんだか長ったらしいタイトルになっているけど、要するにそういう事。ってなワケで今年撮った写真の中で、被写体にしたものについてあれこれ振り返ってみようと思う。

 具体的に言うと、ちゃんと被写体を活かせたのかとか、テーマが伝わる形になっているかとか、ここら辺はある意味『写真の価値』に直結する部分なので、自分がどのくらいできているのかは定期的に振り返る必要があると感じる。

◆自分が取り扱いたいテーマは何か

 まず写真を撮る人にとって最初にくるもの。カメラで写真撮影と一口に言ったって、風景写真が好きな人も居れば、モデルを使ってポートレートにもの凄い拘りを持つ人も居る。その中でも更に山岳写真を専門にする人も居れば、工場夜景や廃墟写真を主軸にしている人も居るし、それらを複合的に構成したポートレート撮影をする人も居る。

 自分は『命』がテーマの主軸になっていて、それを取り巻く様々なシチュエーションから視点を据えて撮影をし、作品と言えるような写真を目指している(と、偉そうな事を言うが出来てるかどうかは…Ww)。

 取り扱うテーマそのものが大きすぎて、しかも多角的に見るもんだから、それを見た人には「この人何を目指してるんだろう…」と、かなりブレて見えていると思う。いやむしろ完全にそうだ。

●テーマのドリルダウン

 まぁそんな大きなテーマを掲げて被写体を探すわけだから、当然個別に指標が必要になるわけで、それをいくつか考えてみた。

  • 野鳥や野生動物、或いは愛玩動物や家畜など
  • 花や草木など植物も当然命
  • そもそも広大な自然風景が命そのもの
  • 山や海は命の父母

 少々強引な思想めいた部分もあるが、第一段階はこんな感じ。そこから更にそれを表現するために、

  • 摂理の中で生まれて死んでいく命、食べられる為に生まれて死んでいく命
  • 芽吹く時、枯れる時
  • 季節の移ろいの彩
  • 育む場所と、奪う場所

 こんな風に自分の中で意識して、命と言うあまりに大きなテーマの中、自分の中に在る何かに乗せるようにしてシャッターを切っている。

 ホントはもっと掘り下げて細分化した方が、『どっかで見た写真』にならなくて良い仕上がりになるはずなのだが、そここそが実力なので今後の時分に期待!

◆被写体検証 生き物編

 と、思ったら今年殆ど野鳥撮影とかしてなかった!別のシチュエーションでたまたま撮った物ばかり(汗)そんなクイックな状況でもちゃんと出来てるか…って、事を検証してみようw

F7.1 SS1/200 ISO-400 -0.3EV 500㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 野生のニホンザル。カメラを構えている人間を警戒している。そばには家族がいるのだ。かなりの距離があるが、人っ子一人居ない山の中。お互いの息遣いが、緩い緊張感と共に伝わってくるようだった。

 撮影したのは冬が終わって山菜の季節が始まろうとしていた頃。秋だともっと活発で狂暴だが、春先のこの時期はさほど騒ぐ事はしない。伝えたかったのは、『野生の静けさ』だった。もっと眼差しを捉えれば良かったかな…。

F8 SS1/160 ISO-200 0EV 410㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 蓮の葉の上に体を乗せて風に流されないようにしながら昼寝をするカルガモ。この日はかなりの風が吹いていたが、野生ではそのような変化は日常茶飯事、あんまり気にする事ではないようだ。

 そんな野生の芯の太さを表現したかった一枚。ゆっくり寝ているカモの姿が逆にのんびりした印象になってしまった。例えばコレを、NDフィルターなんか使ってスローシャッターを比較明合成とかで撮ったら、風に吹かれている背景をブラせてそれが表現できたかも。技術的な課題プラス道具の事も考えた一枚。

F3.2 SS1/160 ISO-200 0EV RicohGRⅢ

 食用菊の花にとまるトンボ。もうすっかり寒くなり始めた秋の終わりしな、触れる程近付いても逃げないトンボ。つまり、寿命が近い。恐らくコレを撮影した夜には、澄んだ秋の星空に旅立った事だろう。

 あまりの凛とした姿に、とても寿命が近いとは思えない一枚。どんな表現だったら、この命の姿が伝わったのだろう。命を表現したいなら、始まりと終わりはしっかり伝わるようにそのセンスを磨いていかないといけない。

F3.5 SS1/200 ISO-200 0EV RicohGRⅢ

 これは自分で獲った命。魚釣りに関して日本はかなり自由度が高い。その為魚釣りを『命を獲っている』と、言う感覚が極めて薄い。ヒドイと魚類をオモチャか何かと勘違いしているようなものまで見受けられる。令和になった今でも釣り人が集まる堤防には、エサ取りのフグやシマダイの子が打ち捨てられ、干からびている。リスペクトを持たない釣り人は必ず所作に現れるので、見るとすぐに分かる。

 自分で食する分さえ自分で用意できなくなった現代人。だからこそ『生きるという事は殺す事』と言う事を釣り写真を通して伝えたかった。

●生き物の在り方は静と動

 基本的に止まっているある程度撮影のしやすい状態の生き物の写真が中心になった。愛機PENTAX.K-1はフォーカスが遅いうえに、ピントが合っていない事が多いwなんなら止まっている被写体に合わせる事すらたまに出来ない(汗)この機材で動く被写体は厳しいのかな…。今後の課題はズバリ『躍動感』という事が分かった。

◆草木にも命が宿っている 植物編

 とかく植物は命の枠から外されて扱われる事が多い。花を摘む事は実は首をもぐ事と同じだという事は、なかなか意識されない。

 そんな草木や花、今年は結構撮っていた。特に花の写真って、普通は一番咲き誇っているタイミングを狙って撮影に挑むと思うんだけど、自分は敢えて散り際枯れ姿を狙って多く撮った。この点に関しては自分の思い通りの表現が出来たと思っている。

F7.1 SS1/250 ISO-100 +0.7EV 240㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 春の菜の花咲き乱れる福島潟の風景。黄色い花を前ボケに暖かく柔らかな表現が出来たと思う。人の手によってそこに置かれ、人の手によって刈り取られる華やかな命の姿。勿論、この場でそこまで考える人は一人も居なかったと思う。自分だけしか感じてないこの感性にどれ程の価値があるのか。

F5.6 SS1/800 ISO-100 -0.7EV RicohGRⅢ ハードモノトーン

 花も煌びやかな時期はほんの一瞬で、後は醜く朽ちていくだけ。そして醜いと思うのは我々人類だけ。鳥も獣も、神様でさえもそんな事に興味は無い。そんな虚しさを白黒で表現したかった一枚。白黒写真は見る人の自由度を上げる事が出来る表現だ。どんな人が見るか、或いは誰も見ないかもしれない写真を撮る事で自分の中にある一番伝わらない物を出してみた。勿論、誰にも伝わらなかった。

F7.1 SS1/20 ISO-200 -1.3EV 18㎜ PENTAX.K-1 DA12-24

 霧に巻かれた森の風景。まさに静そのもの。鳥や獣が居るワケではないのに、溢れんばかりの命を感じるシーン。これは山その物が命を持っている事を表現したかった。きっともっと他の見せ方もあったように思うけど、今の時分にとってはコレが限界だった。多分余計な思考を巡らせ過ぎたのかもしれない。一番伝えたかった事も一緒に、この霧の中に霞んでいった。

F5.6 SS1/100 0EV 113㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 自分のオリジナルテーマ『枯れ色』に確信を持った一枚だった。こんなに綺麗に朽ち果てていく姿はなかなか見れないと思った。きっと枯れ色を表現する上で一番良いタイミングなのかもしれないと思った。勿論、これがまだ人から評価を受けられるようなものではない事は確かなんだが、自分の中に在る最高の原石を見つけた。

F5.6 SS1/400 ISO-200 0EV 140㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 この一枚は、枯れ色の表現をしながら新しい命の芽吹きを描いたもの。山の深い所で、人知れず静かに誕生した森の命。元々コントラストの強い調整をして、更に薄暗い所で撮影したからより静けさをダイレクトに伝えられたと思う。自分は彼だって立派な命だと思っている。

F3.5 SS1/160 ISO-200 -0.7EV RicohGRⅢ クロスプロセス

 干された大根達。『作物』と言う命の形。我々人間はコレを取らずして生きていく事は出来ない。育ててでも取らなきゃいけない。見慣れた人には何とも思わない光景だし、見慣れない人には田舎を感じるワンシーンだ。もしこの大根が口がきけるとしたら?

F2.8 SS1/125 ISO-200 0EV RicohGRⅢ ハードモノトーン

 干された柿と我が家の大婆ちゃん。95歳という事もあって、さすがに近頃死を感じているらしい。死と向き合う事すらしなくなった現代人、そりゃそうだ、自分の手で命を摂っている人は殆どいないからね。

●『置かれた場所で咲きなさい』~瀬戸内寂聴~

 生まれる場所を選べないのは、植物も動物も同じ。でも基本的に植物は生まれた後も自らの意志でその場を離れる事は出来ない。あるものは森を支え、あるものは里を支え、あるものは人を支えている。そんな植物達の置かれた環境の中での在り方をもっと豊かに表現できるようになりたかった。人に摂られるだけの農作物でも、天に向かって誇らしく命を謳歌する姿をもっと活き活きと撮りたかった。来年はもっと視点と感性を磨いていきたい。

F16 SS1/500 ISO-100 0EV 290㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

◆Breath of the Wild ~世界は命の揺り籠~

 この地球の命は全て、土や水や風や太陽や…世界を構成している全ての要素が一つでも欠落すると営めない。話が大きくなりすぎているけど要するに『生きていると言うより生かされている』と思っている。ブレスオブザワイルドって言うと「なんだゼルダか」と、思われるかもしれないがw

 志だけは一丁前だが、当然まだ自分でも納得のいく一枚は撮れていない。と、言うより大きなテーマの大枠だけで納得がいく写真なんて撮れるはずもないのだ。写真は引き算が基本、大きなテーマが決まったら、そこからより伝わるように的を絞っていくのが普通の写真撮りだ(たぶん)。

 山登りをすると、日本と言う小さな国でもどれだけ世界は広く複雑に広がっているかがよく分かる。この壮大な風を感じたくて人は山に登るのだと思う。そんな世界の広さを、小さなファインダーに収め、限られたフレームでどこまでクロップできたか振り返ってみる。

F13 SS1/1000 ISO-100 -1EV 50㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500 アスペクト比16:9

 弥彦山山頂から寺泊方面を望んだ景色。遥か霞むのは柏崎~上越、富山県方面だ。粗々しく空を走る分厚い雪雲の下では、広がる海原に無数の命が巡る。人々が暮らす街のすぐそばに、それはあるのだ。それを表現したかった。

F4 SS1/4000 ISO-200 -0.7EV RicohGRⅢ

 巻機山に自生するワタスゲ。木道が敷かれた現代では、誰もが手に取れる程近くで愛でる事ができる。冬は数メートルも雪の下で眠り、花を咲かせる初夏には厳しい寒暖差に晒される過酷な環境、まさに野生と言える。登山ブームの中『ハリボテの敬意』を語る人を沢山見た。

F18 SS1/100 ISO-100 -0.7EV 15㎜ PENTAX.K-1 DA11-18魚眼

 十日町市の美人林。伐採によって一度は更地になった場所に、同時期にブナの木が芽吹いた所で、同じ時間をかけて育ってきた事からこのように整然とした立ち姿の林となったそうだ。里山の暮らしに当たり前にあった林業の産物。林が荒れないよう藪を手入れし、人々の踏圧でブナの成長を妨げないよう木チップが敷かれた。人と森が支え合う命の形が芸術的な程昇華された場所、沢山のカメラマンによって最高の表現がなされた場所。今更自分には良さを上手く表現できなかった。

F16 SS13秒 ISO-100 -0.7EV 50㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 日没後に撮影した角田山から望む日本海の風景。景色の向こうには佐渡ヶ島が横たわる。この海だって沢山の命が溢れている。風景写真だけでは中々伝わらないが、もし世界のどこかにそれを読み取ってくれる人が居たら…きっと心の底から分かり合える何かを持っていると思う。

●母なる海と海洋プラスチック

F13 SS1/15 ISO-100 -0.7EV 18㎜ PENTAX.K-1 DA12-24

 母なる海の悲しい姿も沢山撮った。昔は地元の海岸清掃に良く参加していたが、あまりの酷さに無力感すら感じた。海洋ゴミが海の生き物達の脅威となっている事は、国際的な問題として取り上げられる事も多くなっているので知る人の多い事となっている。

F8 SS1/500 ISO-200 -0.3EV 60㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

 市販されている食塩を大手メーカーや輸入業者数社に絞って、どれくらいのマイクロプラスチックが混入しているか調査が行われたそうだ。結果は残念な事に全てのメーカー及び輸入業者の取り扱うサンプルからマイクロプラスチックが検出されたそうだ。現段階ではマイクロプラスチックは人体に吸収されず、そのまま代謝されるとの事だが、狩猟で使用される鉛散弾同様、生物濃縮が問題になるとされている。

 人間とは実に呑気だ。自らの首を絞めている事に未だに気付かない。いや…ホントは気付いているけど、気付かないフリをしている方が今は楽なんだろうな。実はそんな人々の在り方を中心に置いて、この海洋ゴミの写真を撮っている。人間は進んで自分の命を、大切な子や孫の命を脅かしている。

◆テーマの主軸『命』どうしてそれを伝えたいのか

 振り返ってみると、テーマはそれなりに沿って撮影できていると思うが、いかんせん表現力が乏しくて、これじゃ結局誰にも伝わらない…そんな結論に至った^^;

 では具体的に何がダメだったのか、やっぱり視点が主観過ぎているのかもしれない。作品の意図が伝わらないのはその為だと思う。このブログはこの一年でたった1300PV(平均的なブロガーなら数時間で達成する)しか獲得できていないので、そんなに気にしなくても誰も見ていないのだがWw

 その他に『どうしてそれを伝えたいのか』が、あんまり明確になっていない気がする。実はこここそ重要なんじゃ?なんて思ったりもした。ここをもっと掘り下げて的を絞れば、もっとインパクトのある一枚にできるかもしれない。漠然と自分の中の感動を表現したくてこのテーマを念頭に置いているけど、見せられた側にとって『なんでそれを見せてきたの?』が解消できなけれなその人の心に何かを落とす事なんてできないと思った。

 来年はどうしてそのテーマを伝えてきたのかを、もっと明確にできるようにセンスを磨いていきたいと思う。

F5.6 SS1/125 ISO-3200 0EV 93㎜ PENTAX.K-1 SIGUMA.APO50-500

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